髪が伸びすぎて単に後ろの毛が邪魔なので、後ろで縛っている。縛っていると言ってもポニーテールになるほど長くはないので、段々とゴムがずれてくる。それを結び直すのだが、特に大学の講義中に結び直すとき

(ああ、俺は女の子みたいに今髪を後ろで縛っていて、それを見られているぞ……)

と思えてきて、そう思うほどに、心の内になんとも言えぬ心地よさが湧き上がってくるのである。家や外で一人で髪を縛っているときには全く感じることのないものである。それはある種の快感であったと言っていい。

自分なりにこの感覚はおそらく「自分は美しい女性のようになっている」という自意識に因るものであると考えた。こう端的に言うと非常におぞましいが、簡単に解剖すれば「髪を縛る動作は女性的なものである」と「髪を縛っているしぐさは非常にセクシーである(私的フェティシズム)」という感覚の合体によるものである。

何より「髪を縛っている自分はセクシーなのではないか」という意識があることを言っておかなければならない。我ながら気色悪く、それを自覚するほどに自己嫌悪に陥るのだが、この奇妙な感覚を発生させるための重要な要素になっているのは間違いない。これに、「髪を縛るのは女性のすることである」という通念が融合した結果、「自分は美しい女性のようになっている」という意識に変性するのである。

それに快感を覚えたのではないか、というのが一つの仮説である。これを敷衍して言えば、女装する男性たちは、女装することによってその快感に酔いしれているのではないか、という仮説が浮かび上がった。

この感覚を女性のばあいについて考えると、自らが美しくなり誰かに見てもらうことは快感の伴うことであり、女性たちは自らが日々美しく(あるいは可愛く)なる度にこのような快感を覚えているになる。何とも羨ましいことであろうか。

男である私にはそうそう満たせるような感覚ではなく、そのためには、それこそ女装などしないといけない。自分は男に生まれ、男に生まれて良かったと思ってきたが、初めて女として生まれても良かったかもな、と思えた瞬間だった。

P.S. この文章は、二郎を食った後におならのような臭いのするゲップをしながら書かれた。